「粋」について

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「粋」の読みは、「いき」「すい」です。

それぞれの読み方で、少し意味が違っています。


「いき」と読む場合 (訓読み)

振る舞いや身なりがさっぱりとし、
人の気持ちをよく理解している事


「すい」と読む場合(音読み)

まじりけがない事
優れている事
世の中や人の気持ちをよく理解している事

目次

「すい」は、上方(京都周辺)における美意識の1つで、物事を純粋に突き詰めていく事でたどり着いた、完成されたものとして扱われています。
関東では「通」と言う言葉の概念に近いようです。

人情とか物の道理をきちんとわきまえている人とか、いろんな知識を持っている人とか、あるいは花町や文化・芸術に対して、とても詳しい人のことを指していいます。

人情や世態・色事などに通じる事を意味しています。ですから、「通」とか「粋(すい)」とは、ある分野のことがよくわかっているとか、こういう色をしているとか、行動によってそれをあらわすことができることで、行動の原理だといわれています。

それに比べて「いき」は、江戸で発生した美意識の1つです。

ある行動を表すのではなく、ある生き方とか生き様とかが生む美意識なのです。

「粋」という概念を理解する上で忘れてはならない一冊の本があります。
大正~昭和時代の哲学者・九鬼周造(1888~1941年)の代表的著作「いきの構造」です。
曖昧な「いき」というものについて構造的に明らかにしようとした一冊です。

それによると、九鬼は「粋(いき)」を3つの特徴で定義しています。

1)媚態(びたい)
異性に対する「つやっぽさ」や「色気」であり、セクシーで上品な振る舞いともいえます。

2)意気地
反骨心や気概といったもの。「武士は食わねど高楊枝」といったやせ我慢や媚びない気概のようなもの。

3)諦め
運命を受け入れ、未練がましくなく、あっさりとした姿勢。無常観といった仏教的思想が反映されています。
つまり、「色気があって、気高く、さっぱりとした心持ちを持った様子」が「粋(いき)」だということになります。
「粋」というのは江戸の庶民の間で生まれた概念だと言われ、当時の人たちがカッコいいと考えていた美意識、生き様、価値観、美学、哲学といったものだと言えます。
そうでないことを関西では、「無粋(ぶすい)」といいますが、関東では、「野暮」といい、「野暮ったさ」は格好悪いとされていました。

言い表し方では、
「宵越しの銭は持たない」
「人情・世情に通じている」
「物事の道理をわきまえている」
「財力があってもそれを誇示しない」
「目立ちたがり屋ではなくどちらかと言うと照れ屋である」
「金銭のことをやたらに口に出さず、無頓着で「けち」ではない」
「昔のことにいつまでも執着しない」
「未練たらしくない」
などといわれることが多いようです。

当時の庶民は服装に派手な色や柄が禁じられていました。用いて良い素材は木綿か麻のみ、使える色も茶色・ねずみ色・藍色の3種類のみといった具合です。
その3色のみしか使うことが許されなかった江戸の人達は、その3色にきわめて多くのバリエーションを発明しました。「四十八茶百鼠」と呼ばれるほどのバリエーションがその3色から生まれました。
赤っぽい茶色を指す江戸茶色、黄色がかった利休茶、深い緑の千歳茶など様々な色の
名前が生まれました。
決して派手さはないが、微妙な違いを楽しむ色の文化がここに生まれたといえるでしょう。また、派手な柄を衣装にあしらうことも禁じられていました。
そこで、遠目には無地、しかしながら近くで見れば手の込んだ模様が施されている江戸小紋や縞模様などの発達につながりました。
一見、地味でありながら手が込んでいる様が粋なものとして考えられていたのです。
更には裏地に派手な模様を忍ばせるといったことが粋とされていたようです。
またそれを理解できる人を通(つう)と呼びました。
足りなければ野暮、行き過ぎると気障とされる、絶妙なバランスの上に立っているもの、それが粋なのです。
粋とは、日本人の心に深く根ざしている格好よさの概念なのでしょう。

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